浦添市文化財調査報告書
前田
ま え だ
・経塚
き ょう づ か
近世
き ん せ い
墓
ぼ
群
ぐ ん
7
前田前原A丘陵
-浦添南第一土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告書-
2017
(平成
29
)年
2
月
沖縄県
浦添市
う ら そ えし
巻頭3 平成 26 年度調査区全景(南東から)
巻頭7 66 号墓遺物出土状況
序 文
本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、平成 25 ~ 27 年度に浦添市教育委員会が 実施した埋蔵文化財「前田・経塚近世墓群」前田前原A丘陵の発掘調査の成果をまとめたものです。
前田・経塚近世墓群は浦添市前田と経塚に広がる近世を中心に造営・使用された墓群です。そ
の数は 1,000 基余を数え、大部分がフインチャーと呼ばれる横穴式の掘込墓ですが、ほかに亀甲 墓や平葺墓なども散見されます。これらの墓はこれまでの調査により首里の士族から地元の庶民 と幅広い階層の人々により造営され使われ続けたことがわかっています。近世墓には数世代にわ たる蔵骨器やそれに記された銘書、副葬品などが残されており、これらから近世を生きた人々に ついて多くの情報を得ることができます。このことは、文献資料の少ない近世琉球の人々や家族 の歴史にとどまらず、当時の浦添の歴史、ひいては琉球全体の歴史を明らかにできる歴史資料で あるともいえます。今回の調査によって、このような貴重な資料の一端を得ることができたと考
えております。
本報告書が近世から近現代まで続いた沖縄や浦添の葬制・墓制について知るために多くの方々 が活用されますとともに、文化財の保護と活用についてより一層の関心を持っていただけるもの になれば幸いに存じます。
末尾になりますが、現地調査および資料整理にあたってご指導・ご協力を賜りました方々並び に事業実施にあたりご協力を賜りました方々に深く感謝申し上げます。
平成 29 年 2 月
例
言
1.本報告書は、南第一土地区画整理事業に先立ち、沖縄県浦添市前田に所在する埋蔵文化財「前 田・経塚近世墓群」前原A丘陵の発掘調査の成果をまとめたものである。
2.「前田・経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から経塚の丘陵一帯に所在する墓群であ る。なお、発掘調査地点の所在地は沖縄県浦添市前田前原585他20筆と里道である。
3.発掘調査は、浦添南第一土地区画整理事業に伴う発掘調査であり、浦添市都市建設部区画整 理課の委託を受けて、浦添市教育委員会文化課が実施した。
4.資料の整理にあたり銘書判読について鈴木悠氏(那覇市歴史博物館)より指導・助言をいた だいた。記して感謝申し上げます。
5.発掘調査に係る現場作業は、平成25~27年度に実施した。調査期間は、平成25年10月16 日~平成26年1月31日及び平成27年4月6日~平成27年6月19日である。調査の実施に あたっては、株式会社パスコ沖縄支店、株式会社シン技術コンサル沖縄営業所の支援を受けた。
6.報告書作成は平成27~28年度の2ヶ年にわたって実施し、浦添市教育委員会文化課職員及 び嘱託職員がこれにあたった。
7.副葬品及び戦争遺物、人骨の実測及び写真撮影については、文化課職員及び嘱託職員がこれ にあたった。なお、蔵骨器の実測及び写真撮影等については、株式会社琉球サーベイ、株式会 社パスコ沖縄支店に委託した。
8.発掘調査終了後の平成28年4月より当該丘陵で厚生労働省による沖縄戦戦没者の遺骨収集 作業が行われ、その際のデータを提供しいただき本報告に反映させている。データを提供して いただいた厚生労働省及び遺骨収集作業受託業者の有限会社ティガネーに感謝申し上げます。
9.本書の執筆を以下のように分担した。編集は佐伯が行った。 菅原広史 第4章第1~12節・21節・各節人骨の項、第5章
佐伯信之 第1章、第2章第3節(一部)、第4章第13~20節・22節、第6章 安斎英介 第2章
瑞慶覧長順 第4章第4節(石製品)
10.本文中で使用した引用・参考文献は、各章末に記した。
11. 調査に関わる実測図や写真等の記録は、浦添市教育委員会文化課において保存している。
凡
例
1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。
2.地形測量図に記した座標は、世界測地系を用いた。日本測地系を用いる場合は、その旨明記 した。
3.平面図に記した方位は、基本的には座標北を示す。磁北を用いる場合は、その旨明記した。 4.遺構断面図を作成した位置は、遺構平面図に横断ラインを示し、方向は英字で表した。 5.地形測量図については を基本として作成し、 の縮尺で掲載した。
6.遺構図については、 を基本として作成し、 ~ の縮尺で掲載した。
7.一次葬人骨の出土状況図については を基本として作成し、 の縮尺で掲載した 8.遺物の実測図は、蔵骨器は 、それ以外は ~ の縮尺で掲載した。それらについて
は、掲載頁に明示している。
9.掘込墓の各部名称と計測位置については以下のとおりである。
・墓口から墓室に至る通路の名称については、伝統的・一般的な呼称が確認されていないことから「羨道」と仮
称した。
例
言
1.本報告書は、南第一土地区画整理事業に先立ち、沖縄県浦添市前田に所在する埋蔵文化財「前 田・経塚近世墓群」前原A丘陵の発掘調査の成果をまとめたものである。
2.「前田・経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から経塚の丘陵一帯に所在する墓群であ る。なお、発掘調査地点の所在地は沖縄県浦添市前田前原 他 筆と里道である。
3.発掘調査は、浦添南第一土地区画整理事業に伴う発掘調査であり、浦添市都市建設部区画整 理課の委託を受けて、浦添市教育委員会文化課が実施した。
4.資料の整理にあたり銘書判読について鈴木悠氏(那覇市歴史博物館)より指導・助言をいた だいた。記して感謝申し上げます。
5.発掘調査に係る現場作業は、平成 ~ 年度に実施した。調査期間は、平成 年 月 日~平成 年 月 日及び平成 年 月 日~平成 年 月 日である。調査の実施に あたっては、株式会社パスコ沖縄支店、株式会社シン技術コンサル沖縄営業所の支援を受けた。
6.報告書作成は平成 ~ 年度の ヶ年にわたって実施し、浦添市教育委員会文化課職員及 び嘱託職員がこれにあたった。
7.副葬品及び戦争遺物、人骨の実測及び写真撮影については、文化課職員及び嘱託職員がこれ にあたった。なお、蔵骨器の実測及び写真撮影等については、株式会社琉球サーベイ、株式会 社パスコ沖縄支店に委託した。
8.発掘調査終了後の平成 年 月より当該丘陵で厚生労働省による沖縄戦戦没者の遺骨収集 作業が行われ、その際のデータを提供しいただき本報告に反映させている。データを提供して いただいた厚生労働省及び遺骨収集作業受託業者の有限会社ティガネーに感謝申し上げます。
9.本書の執筆を以下のように分担した。編集は佐伯が行った。 菅原広史 第4章第 ~ 節・ 節・各節人骨の項、第5章
佐伯信之 第1章、第2章第3節(一部)、第4章第 ~ 節・ 節、第6章 安斎英介 第2章
瑞慶覧長順 第4章第 節(石製品)
.本文中で使用した引用・参考文献は、各章末に記した。
凡
例
1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。
2.地形測量図に記した座標は、世界測地系を用いた。日本測地系を用いる場合は、その旨明記 した。
3.平面図に記した方位は、基本的には座標北を示す。磁北を用いる場合は、その旨明記した。 4.遺構断面図を作成した位置は、遺構平面図に横断ラインを示し、方向は英字で表した。 5.地形測量図については1/200を基本として作成し、1/500の縮尺で掲載した。
6.遺構図については、1/20を基本として作成し、1/5~1/80の縮尺で掲載した。
7.一次葬人骨の出土状況図については1/5を基本として作成し、1/10の縮尺で掲載した 8.遺物の実測図は、蔵骨器は 1/6、それ以外は1/1~1/3の縮尺で掲載した。それらについて
は、掲載頁に明示している。
9.掘込墓の各部名称と計測位置については以下のとおりである。
・墓口から墓室に至る通路の名称については、伝統的・一般的な呼称が確認されていないことから「羨道」と仮
称した。
・墓口の方位は、座標北を表す。主軸方位は墓室奥壁を背にして墓口方向をみている。
墓庭
右棚 左棚
▲
● ●
●
● ●
▲
▲
▲
▲
墓口
羨道
サンミデ―
シルヒラシ
庭囲い 庭囲い
1番棚 2番棚 3番棚
墓道
▲
幅
奥行
高さ
墓
口の方位
10.蔵骨器の分類及び名称と、各部名称・計測位置については、浦添市教育委員会刊行の浦添市
文化財調査研究報告書第 25集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997 年)及び浦添 市文化財調査研究報告書『比嘉門中の家族史-家族の数だけ歴史がある-比嘉門中墓の調査 概要』(2006年)を参考にしている。
・蔵骨器の各部名称と計測位置(上段:ボージャー形、下段:マンガン釉甕形)
口径
体
部高
器高
器高
口径 内径
底径
胴部径
つまみ
つまみ台
頸部横帯
胴部文様 胴部横帯
マド マド枠
体
部高
器高
口径 内径
口径 内径
器
高
底径
胴部径
屋門 胴部文様帯
肩部文様帯
胴下部文様帯
玉飾 屋根 窓
柱貫
柱
銘書面 つまみ つまみ台
鍔 かえり 横帯1
横帯2 横帯3
.蔵骨器の分類及び名称と、各部名称・計測位置については、浦添市教育委員会刊行の浦添市 文化財調査研究報告書第 集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』( 年)及び浦添 市文化財調査研究報告書『比嘉門中の家族史-家族の数だけ歴史がある-比嘉門中墓の調査 概要』( 年)を参考にしている。
・蔵骨器の各部名称と計測位置(上段:ボージャー形、下段:マンガン釉甕形)
11.窓・屋門の部位名称と計測位置は下記のとおりである。
12.下記の遺物の各部名称と計測位置は以下のとおりである。
寄棟形 平葺形 平葺形 唐破風形 唐破風形
1方2方 1方4円 1方2方 1方 1方2方
瓦屋形 唐破風形 位牌形 アーチ形
屋門の分類(マンガン釉甕形) マド枠の分類(ボージャー)
屋門計測部位 マド枠計測部位
縦軸
横軸
横軸
縦軸
ヨコ
タテ
断面寸法 頭部
基部
先端
陶器(器)
口径
器高
底径
鉄釘
煙管 雁首
長さ
火皿径
立ちあがり
ラウ接続部径
長さ
吸口径 吸口
頭部 首部 竿部
長さ
頭部 首部
ムディ部
竿部 簪
A B C D
E
A’ B’ C’ D’
E’
A:輪外径縦 A’:輪外径横
B:輪内径縦 B’:輪内径横
C:郭外幅縦 C’:郭外幅横
D:郭内幅縦 D’:郭内幅横
E:輪厚1 E’:輪厚2
※ 記載数値は英字と英字’の平均値
目
次
巻頭図版
序文・例言・凡例・目次
第1章 はじめに
第1節 調査に至る経緯 ··· 1
第2節 調査体制··· 1
第3節 調査の経過··· 2
第2章 遺跡の位置と環境 第1節 浦添の地理的環境 ··· 4
第2節 遺跡の地理的環境 ··· 4
第3節 遺跡周辺の歴史的環境 ··· 6
第3章 発掘調査の概要 第1節 調査の方法··· 8
第2節 層序と遺構··· 8
第3節 遺物··· 9
第4章 調査の成果 第1節 1号墓 ··· 22
第2節 27号墓 ··· 22
第3節 31号遺構 ··· 25
第4節 33号墓 ··· 29
第5節 45号墓 ··· 33
第6節 47号墓 ··· 36
第7節 48号墓 ··· 36
第8節 49号墓 ··· 46
第9節 51・52号墓 ··· 48
第10節 56号墓 ··· 56
第11節 57号墓 ··· 58
第12節 59号墓 ··· 64
第13節 64号墓 ··· 67
第14節 65号墓 ··· 68
第15節 66号墓 ··· 72
第16節 67号墓 ··· 78
第17節 69号墓 ··· 82
第18節 71号墓 ··· 84
第19節 72号墓 ··· 86
第20節 73号墓 ··· 89
第21節 その他の遺物 ··· 92
第22節 銘書一覧 ··· 95
第5章 人骨 第1節 資料について··· 96
第2節 人骨出土状況および分析結果 ··· 96
第6章 総括 ··· 106
写真図版 報告書抄録
巻頭写真
巻頭1 巻頭2 巻頭3 巻頭4 巻頭5 巻頭6 巻頭7 巻頭8挿図目次
第1図 遺跡の位置 ··· 5第2図 前田・経塚の小字 ··· 5
第3図 前田・経塚近世墓群調査地区の位置···· 12
第4図 前田前原A丘陵の周辺 ··· 13
第5図 調査地地形と各遺構の位置 ··· 14
第6図 1号墓 遺構図 ··· 23
第7図 27号墓 遺構図 ··· 24
第8図 27号墓 一次葬人骨出土状況 ··· 25
第9図 27号墓 出土遺物 ··· 26
第10図 31号遺構 遺構図 ··· 27
第11図 31号遺構 出土遺物 ··· 28
第12図 33号墓 遺構図 ··· 30
第13図 33号墓 出土遺物(1) ··· 31
第14図 33号墓 出土遺物(2) ··· 33
第15図 45号墓 遺構図 ··· 34
第16図 45号墓 出土遺物 ··· 35
第17図 47号墓 遺構図 ··· 37
第18図 47号墓 出土遺物(1) ··· 38
第19図 47号墓 出土遺物(2) ··· 39
第20図 47号墓 出土遺物(3) ··· 40
第21図 47号墓 出土遺物(4) ··· 41
第22図 48号墓 遺構図 ··· 44
第23図 48号墓 出土遺物 ··· 45
第24図 49号墓 遺構図 ··· 46
第25図 49号墓 出土遺物 ··· 47
第26図 51・52号墓 遺構図 ··· 49
第27図 51号墓 出土遺物(1) ··· 50
第28図 51号墓 出土遺物(2) ··· 51
第29図 51号墓 出土遺物(3) ··· 52
第30図 51号墓(4)・52号墓出土遺物 ··· 53
第31図 56号墓 遺構図 ··· 56
第32図 56号墓 出土遺物 ··· 57
第33図 57号墓 出土遺物(1) ··· 58
第34図 57号墓 遺構図 ··· 59
第35図 57号墓 出土遺物(2) ··· 60
第36図 57号墓 出土遺物(3) ··· 61
第37図 59号墓 遺構図 ··· 64
第38図 59号墓 出土遺物 ··· 65
第39図 64号墓 遺構図 ··· 66
第40図 64号墓 出土遺物 ··· 67
第41図 65号墓 遺構図 ··· 69
第42図 65号墓 出土遺物(1) ··· 70
第43図 65号墓 出土遺物(2) ··· 71
第44図 65号墓 出土遺物(3) ··· 72
第45図 66号墓 遺構図 ··· 73
第46図 66号墓 出土遺物(1) ··· 74
第47図 66号墓 出土遺物(2) ··· 75
第48図 67号墓 遺構図 ··· 79
第49図 67号墓 出土遺物(1) ··· 80
第50図 67号墓 出土遺物(2) ··· 81
第51図 69号墓 遺構図 ··· 83
第52図 69号墓 獣骨埋設遺構図 ··· 83
第53図 71号墓 遺構図 ··· 84
第54図 71号墓 獣骨埋設遺構図 ··· 85
第55図 72号墓 遺構図 ··· 87
第56図 72号墓 出土遺物 ··· 88
第57図 73号墓 遺構図(1) ··· 90
第58図 73号墓 遺構図(2) ··· 91
第59図 16・40号墓 出土遺物 ··· 93
第60図 16・40・50号墓 出土遺物 ··· 94
表目次
第1表 墓室平面形の類型 ··· 15第2表 遺構観察一覧(1) ··· 16
第3表 遺構観察一覧(2) ··· 17
第4表 遺構観察一覧(3) ··· 18
第5表 遺構観察一覧(4) ··· 19
目
次
巻頭図版
序文・例言・凡例・目次
第1章 はじめに
第1節 調査に至る経緯
第2節 調査体制
第3節 調査の経過
第2章 遺跡の位置と環境
第1節 浦添の地理的環境
第2節 遺跡の地理的環境
第3節 遺跡周辺の歴史的環境
第3章 発掘調査の概要
第1節 調査の方法
第2節 層序と遺構
第3節 遺物
第4章 調査の成果
第1節 号墓
第2節 号墓
第3節 号遺構
第4節 号墓
第5節 号墓
第6節 号墓
第7節 号墓
第8節 号墓
第9節 ・ 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 号墓
第 節 その他の遺物
第 節 銘書一覧
第5章 人骨
第1節 資料について
第2節 人骨出土状況および分析結果
第6表 出土遺物一覧(1) ··· 20
第7表 出土遺物一覧(2) ··· 21
第8表 27号墓 出土陶磁器観察表 ··· 26
第9表 31号遺構 出土陶磁器観察一覧表 ··· 28
第10表 33号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 32
第11表 33号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 32
第12表 33号墓 出土陶磁器観察表 ··· 32
第13表 45号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 35
第14表 45号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 35
第15表 47号墓 出土陶磁器観察一覧表(1) ··· 42
第16表 47号墓 出土陶磁器観察一覧表(2) ··· 43
第17表 48号墓 出土陶磁器観察一覧表 ··· 45
第18表 49号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 47
第19表 49号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 47
第20表 51号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 54
第21表 51号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 54
第22表 51号墓 出土陶磁器観察一覧表 ··· 55
第23表 52号墓 出土陶磁器観察一覧表 ··· 56
第24表 56号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 57
第25表 56号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 57
第26表 57号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 62
第27表 57号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 63
第28表 57号墓 出土陶磁器観察表 ··· 63
第29表 59号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 65
第30表 59号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 65
第31表 64号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 68
第32表 65号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 71
第33表 65号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 71
第34表 65号墓 出土銭貨一覧 ··· 72
第35表 66号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 76
第36表 66号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 77
第37表 67号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 78
第38表 67号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 82
第39表 72号墓 出土蔵骨器(蓋)観察表 ··· 86
第40表 72号墓 出土蔵骨器(身)観察表 ··· 86
第41表 72号墓 出土陶磁器観察表 ··· 87
第42表 その他の墓 出土陶磁器観察表 ··· 92
第43表 その他の墓 出土蔵骨器(身)観察表··· 93
第44表 銘書一覧 ··· 95
第45表 出土人骨一覧表 ··· 102
第46表 最小個体数集計表 ··· 104
第47表 骨にみられる異変等の観察表 ··· 104
第48表 上顎骨及び下顎骨の歯列残存状況··· 105
図版目次
図版1 調査区全景 ··· 111図版2 調査区近景 ··· 112
図版3 調査区近景 ··· 113
図版4 調査区近景 ··· 114
図版5 1号··· 115
図版6 2~7号··· 116
図版7 8~15号··· 117
図版8 16~21号··· 118
図版9 22~30号··· 119
図版10 27号 ··· 120
図版11 30~33号 ··· 121
図版12 33~39号 ··· 122
図版13 40~45号 ··· 123
図版14 45~47号 ··· 124
図版15 48~49号 ··· 125
図版16 50~56号 ··· 126
図版17 56~57号 ··· 127
図版18 57~59号 ··· 128
図版19 59~63号 ··· 129
図版20 64~66号 ··· 130
図版21 67号 ··· 131
図版22 67~71号 ··· 132
図版23 71~73号 ··· 133
図版24 73~79号 ··· 134
図版25 27・31・33号墓出土遺物 ··· 135
図版26 40・45・48・49号墓出土遺物 ··· 136
図版27 51号墓出土遺物(1) ··· 137
図版28 51(2)・56・57(1)号墓出土遺物 ···· 138
図版29 57号墓出土遺物(2) ··· 139
図版30 57(3)・59号墓出土遺物 ··· 140
図版31 64・65(1)号墓出土遺物 ··· 141
図版32 65号墓出土遺物(2) ··· 142
図版33 65(3)・66(1)号墓出土遺物 ··· 143
図版34 66号墓出土遺物(2) ··· 144
図版35 66号墓出土遺物(3) ··· 145
図版36 67号墓出土遺物(1) ··· 146
図版37 67号墓出土遺物(2) ··· 147
第1章
はじめに
第1節
調査に至る経緯
浦添南第一土地区画整理事業は、浦添市を事業主体とする字前田、経塚にまたがる総面積82.4 ヘクタールの土地区画整理事業である。本事業は平成3年度に都市計画決定し、平成4年度より 着手されている。
当該事業の実施に伴い浦添市教育委員会は現地踏査を実施し、さらに平成6~9年度にかけて 同事業地内の分布調査を実施した。その結果、地内の丘陵各所において方言名で「フインチャー」 と称する横穴式の墓を多数確認、その数は約1,000基にのぼると推定された(浦添市教委1998)。 その後の範囲確認調査を経て順次緊急発掘調査を実施している。
同事業地内の前田地区に位置する前原A丘陵では街路・宅地造成が予定されており、発掘調査 を実施することとなったが丘陵を北と南に分けて二ヶ年度(予算を繰り越したため厳密には三ヶ 年度)にわたって調査を実施した。北半分は平成25年6月25日付、南側は平成26年5月23日 付(平成27年2月3日付変更・平成27年3月18日付再変更)で市と市教委の間に緊急発掘調査 業務委託契約が締結された。また平成28年5月26日付で新規の現場調査の業務とあわせて、本 報告書刊行のための資料整理業務を行う委託契約を締結した。
第2節
調査体制
調査の体制は下記のとおりである。
調査主体 浦添市教育委員会 教育長 池原寛安(平成25~28年度) 事業所管 浦添市教育委員会文化部 部長 下地安広(平成25~28年度) 事業総括 同 文化課 課長 松川章(平成25~28年度) 事業調整 同 文化財係長 渡久地政嗣(平成25~28年度) 事業事務 同 文化財係主任 菅原広史(平成25~28年度) 同 文化財係主任 佐伯信之(平成26~28年度) 同 文化財係主事 瑞慶覧長順(平成27~28年度) 同 文化振興係主事 松田奈津子(平成25~28年度) 同 臨時職員 宮里磨(平成25年度)
同 臨時職員 上原仁美(平成26年度)
調査員 同 文化財係主任 菅原広史(平成25~28年度) 同 文化財係主任 佐伯信之(平成26~28年度)
資料整理
平成28年度(嘱託職員) 石嶺敏子、新城京美、玉寄智恵子、嘉数さおり
調査協力 志良堂恵、照屋葉史
委託業務
平成25年度 発掘支援業務委託 株式会社パスコ沖縄支店
平成26・27年度 発掘支援業務委託 株式会社シン技術コンサル沖縄営業所 平成27年度 遺物実測等業務委託 株式会社琉球サーベイ
平成28年度 遺物実測等業務委託 株式会社パスコ沖縄支店
第3節
調査の経過
(1)丘陵北側(平成25年度調査) ○平成25年10月16日~
防蛇網設置、伐採・搬出、空中写真撮影、基準点測量、現況地形測量、磁気探査等作業。 ○11月12日~
重機掘削による遺構確認作業。 ○11月18日
1号墓掘削作業開始。以後各遺構の検出・掘削作業を行う。
○11月28日
2・3・4・6号の遺構測量、以後適宜各遺構の測量を行う。
○12月12日
磁気探査実施中に戦没者遺骨が見つかる。16 日に県戦没者遺骨収集情報センターに引き渡す。 その後12月20日、1月14日にも見つかり同様に取り扱う。
○平成26年1月25日 空中写真撮影。 ○1月29日
全遺構測量・遺物取り上げ終了。種子吹き付け(~30日)。 ○1月31日
現場事務所等撤収。
(2)丘陵南側(平成26年度調査。予算繰越のため実質的な現地作業は平成27年度に実施) ○平成27年4月6日~24日
防蛇網設置、伐採・搬出、基準点測量、現況地形測量、磁気探査等作業。 ○4月23日~5月15日
重機掘削による遺構確認作業。 ○5月13日
○5月19日
65・66・73号墓掘削作業。以後各遺構の掘削作業を行う。またこの日から73号墓の遺構測量を
始め、以後適宜各遺構の測量を行う。 ○6月8日
67号墓掘削作業を最後にすべての遺構掘削終了。
○6月10日
全遺構測量・遺物取り上げ終了。 ○6月11日
空中写真撮影。 ○6月15日
種子吹き付け。 ○6月19日
第2章 遺跡の位置と環境
第1節 浦添市の地理的環境
前田・経塚近世墓群が所在する浦添市は、沖縄本島中南部の西海岸に位置し、南側に県都であ る那覇市、東側に西原町、北側に宜野湾市が隣接する。西側は東中国海に面しており、遠くには 慶良間諸島を望むことができる。市域は東西 8.4km、南北 4.6km、面積は約 19.09k ㎡で、人口は 114,217人、46,458世 帯( 平 成26年1月 末 現 在 ) を 擁 す る 市 で あ る。 市 の 西 部 に は 国 道58号、 市中央部には国道 330 号と県道那覇宜野湾線、東部には沖縄自動車道がそれぞれ南北に走り、島
の南北を結ぶ主要交通路が縦貫する。海浜部は、約 270 ヘクタールの地域を米軍牧港補給基地が 占めている(第 1 図)。
市の地形は、標高約 40m 前後でほぼ二分され、東部は起伏の小さな丘と浅い谷が連なる波浪状 の丘陵地、西部は東中国海に続く東高西低の地形である。北部には、北西-南東方向に標高 120 ~ 140m の浦添断層崖が形成されている。本市の最高点は、字仲間から前田に所在する国指定史 跡浦添城跡内の 138.4m である。それらの丘陵を分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する
小湾川、安謝川の四河川はいずれも東中国海へ注いでいる。海岸線はほぼ全面で沖合にかけ豊か なサンゴ礁が発達している。
本市に分布する地層は、下位から上位に島尻層群、琉球層群、海浜堆積地及び沖積層に大別す ることができる。島尻層群は、本市の基盤を形成し市の中央部から南東部に広く露出するが、市 西部や北部においてはかわって琉球層群が広く分布する。沖積層や海浜堆積物は四つの河川の河 口付近や海岸沿いにみることができる。植生については、本市全域が去る大戦の激戦地であった ために、ほとんど焼け野原の状態になり、現在残っている植被は二次林となっている。気象は隣
接する那覇市において年平均気温 22.3 度、降水量 2107.8 ミリメートルで、冬は北東、夏は南東 の季節風が卓越する。気温的には亜熱帯で、降水量は多く特に梅雨期や台風期に多い。風は東ア ジア季節風帯に属している。
第2節 遺跡の地理的環境
前田・経塚近世墓群は、浦添市の南東に位置する字前田と那覇市に隣接する字経塚一帯の丘陵 地に分布する墓群の総称である。この地域は小湾川と安謝川の上流域で、その分水嶺にまたがる
地域であり、一帯の地形はそれに由来する幾筋もの狭く浅い谷底低地と尾根から構成される。そ のため、土地の起伏に富む丘陵地となっており、幾つもの舌状の小丘陵が入り組む複雑な地形が 形成されている。これらの表層の地質は、豊見城層(小禄砂岩層)で構成されている。この砂岩 は固結度が低い細粒の砂岩層であり、方言名で「ニービ」と呼ばれている。この地域の谷筋は、 尾根の森を水源涵養林として古くから水田や畑として開発されてきたが、その斜面にはニービを 掘り抜いた多くの掘込墓(方言名:フィンチャー墓)が形成されている。
現在、区画整理事業が進められている前田・経塚近世墓群が所在する丘陵地一帯は、地形上小
塚に属している。この地区の小字は、安波茶水 系 に 属 す る 山 川 原、 前 田 原、 前 原、 東 前 田 原、
西前田原、黒島原、真和志堂原、真知堂、西小 島 原、 南 小 島 原 と 沢 岻 水 系 に 属 す る 子 ノ 方 原、 上 平 良 大 名 原、 下 平 良 大 名 原 の13小 字 か ら な る( 第2図 )。 か つ て は、 安 波 茶 川 水 系 の 全 て の小字と沢岻川水系の最上流域の子ノ方原が字 前田に属し、沢岻川水系の上・下平良大名原が 字沢岻に属していたが、大正五年の字経塚の新
設にあたり、字沢岻・字前田・字安波茶の小字 をそれぞれ割いて設立した時より、現在の帰属 になっている。
この地域一帯は、平成3年に浦添市が実施す る浦添南第一土地区画整理事業が都市計画決定 され、その翌年から着手された。同事業が進行 する過程で、上記の墓群が次々に発見され、現
在までにその数が 1,000 基を超えている。墓は、 西前田原、東前田原、真和志堂原、前原、真知堂、 南小島原、下平良大名原、子ノ方原に主に分布 し、 特 に 真 知 堂 に 集 中 し て い る。 平 成21年 度 調査では、前田・経塚近世墓群が市域をまたい で南側の那覇市大名区域まで広がることが明確
宜 野 湾 市
西 原 町
国 道
5 8
号
国 道
330号
沖 縄 自 動 車 道 路
県 道
2 41号
線
0 1km
第1図 遺跡の位置(1/40,000)
N
前田・経塚近世墓群
浦添市 沖縄本島
那 覇 市
西小島原
真知堂
上平良大名原
南小島原
子ノ方原
下平良大名原 黒島原
真和志堂 西前田原
前 原
東前田原 山川原
前田原
前 田
経 塚
0 500m
谷底低地
その他の部分は小丘陵
調査箇所
第3節 遺跡周辺の歴史的環境
浦添市が所在する沖縄本島中南部の遺跡分布の特徴としては、貝塚時代後期には海浜部に遺跡 群が形成され、比較的内陸部の遺跡は少ない。グスク時代には、畑作や稲作が行われるようにな り、遺跡も内陸部の石灰岩台地周辺に展開した。前田・経塚地区のように石灰岩台地がなく谷底 低地が発達した地域は、グスク時代遺跡の分布が希薄な地域であるといわれている。
古 琉 球 期 の 状 況 に つ い て は 不 明 な 点 が 多 い。「 浦 添 城 の 前 の 碑 文 」 に よ る と、1597( 万 暦25) 年に尚寧王が「宿道」と呼ばれる街道の整備を行い、首里から浦添に至る道を石畳にした。この
時、木橋だった安波茶橋が石橋に替わり、経塚を通る「宿道」が石畳に改められたとされる。また、 1609(万暦 37)年に島津軍が琉球に侵攻した際には、首里への侵攻路として利用された。
近 世 に は 地 方 統 治 制 度 と し て「 間 切・ 村 制 度 」 が 採 用 さ れ、 南 第 一 地 区 一 帯 に つ い て は1621 (和暦元和 7・中国暦天啓元)年の浦添王子朝良宛知行目録に「前田村」・「度支村」(沢岻村)が、
1649(順治 3)年に作成された『琉球国絵図郷村帳』には「前田村」・「沢岻村」・「あはき村」(安
波茶村)の3ヶ村の名がみえる。「前田」は仲間村もしくは浦添グスクの前にある田、が名の由
来 だ と さ れ る。『 琉 球 国 高 究 帳 』(1645年 頃 ) に よ れ ば 水 田 の 石 高 は 他 村 に 比 べ 決 し て 高 い わ け
ではないが、畠を合わせた石高のうち水田が占める割合は浦添間切全体が49.4%であるのに対
し前田村は88.3%と水田卓越の村といえる。その後サトウキビ生産による畠の面積が増えたよ
うで明治 36(1903)年の統計では前田村の田畠に占める水田の割合は 19.5%と激減しているが、 水田の面積では間切内他村と比べ圧倒的に前田村が広い。一方「経塚」の地名は尚真王代(1477 ~1526) に 日 秀 上 人 が、 現 在「 経 毛 」 と 呼 ば れ る 場 所 に 経 塚 を 建 立 し た こ と に 由 来 す る。 同 集 落 は 首 里 士 族 の 屋 取 集 落 と し て 成 立、 発 展 し た。 そ の 成 立 年 代 は 明 ら か で は な い が、1800年 代 前半には屋取集落が成立していたとされる。その後、1879(明治 12)年のいわゆる「廃藩置県」
によって職を失った士族が多く移り住んだことによって、現在の字経塚の基ができた。1916(大 正 5)年には、沢岻・安波茶・前田から一部を分割し字経塚が成立した。
前田・経塚近世墓群では 1700 年頃の銘書がある蔵骨器もみられることから、この頃には墓地 としての利用が始まったと考えられる。これまで確認されている同墓群の所有者については、概 ね北側の前田一帯の墓は、前田の人のものが多く、南側の経塚一帯の墓は、首里の人が多いとい うデータがある。経塚は首里の近郊に位置するため、首里の士族層を中心に多くの墓が建立され
〈引用・参考文献〉
浦添市教育委員会 1980『うらそえの文化財』
浦添市史編集委員会 1981『浦添市史 第二巻 資料編 1』浦添市 浦添市史編集委員会 1983『浦添市史 第四巻 資料編 3』浦添市 浦添市史編集委員会 1984『浦添市史 第五巻 資料編 4』浦添市 浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第六巻 資料編 5』浦添市 浦添市史編集委員会 1987『浦添市史 第七巻 資料編 6』浦添市 浦添市史編集委員会 1989『浦添市史 第一巻 通史編』浦添市
浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』 経塚自治会 2006『字経塚史』
浦添市教育委員会 2011『前田・経塚近世墓群 2 首里大名地区』
第3章 発掘調査の概要
第1節 調査の方法
今回報告する前田前原A丘陵は浦添市字前田のほぼ中央、前田集落の南側に位置する。独立し た小丘陵で標高は 92 ~ 119m、南側から南西側の丘陵裾は区画整理事業以前に里道整備等で削ら れている。調査面積は約 3,560 ㎡である。
現地調査は区画整理事業の進捗に合わせ、丘陵北側(平成 25 年度)と南側(平成 26・27 年度)
に分けて実施した。
細粒砂岩(ニービ)の丘陵に造営する墓は、地山を掘削して形作っているため地山まで掘り進 めることによって遺構を確認できる。そのため重機により地山を覆っている土を全て除去し、遺 構が確認された時点で人力掘削に移行、遺構検出後は遺構埋土の掘削を実施した。遺構番号は調 査年度は異なるが同一丘陵であることから連番とし1 号から 79号までごく一部を除き遺構確認 順に付与したが、これらのうち壕(墓を改造した痕跡のうかがえないもの)や、本来ならば同一
遺構番号である本墓と脇墓に個別の番号を与えたものなどがあり、最終的に墓は42 基確認され
た。このうち遺構や遺物の残存状況が比較的良好もしくは残存状況は良くなくとも遺物が大量に 出土した情報量の多い墓は 21 基あり、その他は攪乱・移転などにより情報量の少ない「空き墓」 であった。情報量の多い墓は1/20の遺構実測図を作成し、そのうち一次葬人骨は1/5で実測図
を作成した。情報量の少ない墓は略測図を作成した。写真撮影は調査開始から完了まで適宜行い、
発掘開始前・終了後にラジコンヘリによる空中撮影を行った。
第2節 層序と遺構
前節で述べたように本墓群は細粒砂岩の丘陵に地山を掘削して造成しているため、地山の確認 が遺構の有無の確認に直結することとなる。このような遺構の埋土とは基本的には墓造営後に斜 面崩壊や墓室の天井崩落によるものであり、また戦時中の利用による拡張が行われている場合は その廃棄された掘削土である場合もある。いずれにしてもそれらの土を分層することにより得ら れる情報はほぼないに等しい。
遺構は横穴式の掘込墓が 42 基、壕が 34 基である。天井が残っていた墓は大方近年まで使用さ れていたもので、蔵骨器等は区画整理にともないあるいはそれ以前に移転されている。一方の天 井が崩壊した墓は崩壊によりその所在が不明確となってしまいその結果蔵骨器が納められたまま の状態つまり墓が機能していた状態で発見される(ただし崩壊時の衝撃により転倒もしくは破損 してしまう場合もある)。これが最も墓としての情報量が多い遺構であり45・49・56・57・59・ 65・66・67 号墓がこれに該当する。墓 42 基のうち 14 基は壕に改造されており一方の 34 基の壕
には墓を改造したか否か不明なもの含まれるのだが、両者あわせ全遺構のうち少なくとも64%
器が廃棄されるなど本来の状況が失われてしまっているのである。
遺構は丘陵のほぼ全体に存在する。北側(平成25 年度調査区)は丘陵裾と尾根の比高差が少
ないためほとんど裾部のみに存在するが、南側(平成 26 年度調査区)特に南斜面では三段に分 布している。南側でも東斜面や西斜面では遺構の分布は希薄であるが傾斜が急か逆になだらか過 ぎて数段にわたっての造営が難しかったのではなかろうか。ただし丘陵南端から南西端は過去に 切 土 が 行 わ れ て お り ま た76号 遺 構 周 辺 は 丘 陵 頂 部 ま で 大 規 模 な 崩 落 を 起 こ し て い る こ と か ら、 本来の地形と遺構の有無は不明である。これら遺構の特徴は第 2 ~ 5 表に概要を掲載しているが 表中の「蔵骨器の出土状況」は比較的良好な状態であるか否かを示している。なお、墓の類型に
ついては浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』掲載の表に準拠している(第1表)。
第3節 遺物
遺物は総計で1,072点出土しその数量と内訳は第6・7表に示した。ただし完形品及び破片を 接合しほぼ完形品となったものは 1 点とし、破片のままのものも 1 点としているため正確な数量 ではないがある程度の傾向は表していると思われる。主な遺物として蔵骨器とそれ以外の陶磁器 類が挙げられる。そのほか副葬品として簪・キセル・銭貨などが出土しているが数量的にはわず かである。そして戦時利用に伴う戦争遺物が出土している。
以下出土遺物の概要を種類別に述べる。
(1)蔵骨器
近 世 墓 の 主 た る 遺 物 で あ る 蔵 骨 器 に つ い て は 今 回 の 調 査 で は 決 し て 多 い と い う 出 土 量 で は な
い。これは全遺構の64%が壕もしくは壕に改造された墓であったことによることが大きいであ
ろう。石製はなく全て陶製である。完形品もしくは復元できたもののうち形式別で最も多いマン ガン釉甕形が蓋 22 点、身 19 点であるのに対し、ボージャー形は蓋が13 点、身が 14 点とやや少
ない。出土傾向としてマンガン釉甕形は丘陵北側の遺構で多く出土しており一方のボージャー形 は全て丘陵南側南斜面の墓で見つかっている。これは同一丘陵での墓の使用時期の一端を示して いるといえよう。そのほかマンガン釉庇付甕形 1 セット、陶製の御殿形(家形)2 セット、転用 品が蓋 1 点、身 5 点出土している。転用品は器高 20 ~ 30 ㎝程度の小型品と水甕などの大型品が ある。
な お ボ ー ジ ャ ー 形 は 安 里 分 類( 安 里・ 新 里 2006) の 蓋 Ⅱ ~ Ⅶ、 身Ⅱ ~ Ⅵ が、 マ ン ガ ン 釉 甕 形 は安里編年(1997)のⅡ~Ⅵ期のものが出土しており、これらは 18 世紀前後から 20 世紀までの
範疇に納まるものである。
(2)蔵骨器以外の陶磁器類
美濃産など内地の製品が卓越している。直接墓にかかわるものでなく戦時中に持ち込まれたもの
と考えられるが、湯呑は墓前祭祀に用いられていたものかもしれず注意を要する。破片数ではあ るものの壺も数が多く、甕、アンダガーミなどの貯蔵容器類は何かしらの食料・調味料などを入 れて戦時中に運び込んだものであろうか。
これらに対し小杯も戦時中に持ち込んだものもあることを否定はしないが、一次葬の副葬品と みなせるものもあり特に 27 号墓のもの(第 9 図 1)はまさしくそれである。
(3)金属製品
金属製品には簪、指輪がある。簪は男性用の髪差が 1 点、女性用のジーファー 3 点である。被 葬者が生前に使用していたもので副葬品として墓に存在するのが一般的であると思われるが、今 回は一次葬人骨もなく壕に転用された墓からの出土もあり洗骨時の取りこぼしも含めその経緯は 不明である。しかし 65 号墓出土の 1 点(第 44 図 5)はボージャー形蔵骨器に納められていたもので、 蔵骨器の編年と相まって該当ジーファーの時代観を考えるのに良好な資料といえよう。
51 号墓から指輪が出土しているが(第 30 図 2)、これも簪同様副葬品として納められるものだ が該墓は戦中に攪乱にあっていることからやはり指輪のもつ背景が不明となってしまっている。
また一般には金属製品とはいわないが金属製ということで寛永通宝が 65 号墓から出土している (第 44 図 1 ~ 4)。
(4)獣骨
69 号墓と 71 号墓の 2 基から埋設された獣骨が出土している(第 52・54 図)。前田・経塚近世 墓 群 で は 過 去 の 調 査 に お い て も 埋 設 さ れ た 獣 骨 の 出 土 例 は 決 し て 珍 し く は な い の だ が、 統 計 は
とっていないものの全墓数量からみれば埋設行為は限られており普遍的なものとはいえずその意 図や時期など不明な点が多い。今回の調査で発見された 2 例についても墓は戦時中に利用されて おり時代をうかがわせるような遺物は一切発見されていない。
(5)その他
27 号墓の一次葬に伴ってガラス瓶が出土しているが埋葬時期を示唆するものである(第 9 図 4)。 また同墓や 53 号墓で鉄釘が出土したがこれは一次葬での木製棺箱に使用していたものであろう。
(6)戦争遺物
先に述べた戦時中に持ち込まれた陶磁器類も広義では戦争遺物であるが、それ以外にも様々な 戦争遺物が出土している。最も多いのが鉄片であるがこれには砲爆弾片や鉄カブト片、缶詰片な
どがあると思われる。形の残るものとしては軍装備に関するものは極端に少なく37 号遺構の薬
莢 1 点、38 号遺構の飯盒 2 点、47 号墓の水筒 1 点くらいである。31 号・38 号遺構で出土した鍬 先は壕を掘削するのに使用したものであろうか。また壕使用時の煮炊きに使ったものであろうか
以上、本調査区での出土遺物の概要を示したが詳細については第 4 章に述べているとおりであ
る。先にも述べたように戦時中に壕が掘削され、また墓が壕に転用されており墓としての遺物が 限られている。しかし一方でこれだけ戦時利用されたにもかかわらず戦争に関わる遺物は非常に 少なく、砲弾小片等の鉄片がその大半であった。それはこの丘陵では早くから遺骨収集が行われ ていたようで、その際に遺骨と一緒に遺物が持ち出されたことによると考えられる。
〈参考文献〉
安里進 1997「伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者-近世墓の考古学的調査による家族復元-」 『伊祖の入め御拝領墓の厨子と被葬者』浦添市文化財調査研究報告書第 25 集
安里進・新里まゆみ 2006「比嘉門中墓の家族史-家族の数だけ歴史がある-」『比嘉門中墓の家 族史-家族の数だけ歴史がある-比嘉門中墓の調査概要』浦添市文化財調査研究報告書 浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』
浦添市教育委員会 2014『前田・経塚近世墓群 5 経塚南小島原A丘陵』
浦添市教育委員会 2015『前田・経塚近世墓群 6 前田真知堂A丘陵 (1)・前田西上原A丘陵・前
経塚上平良大名原
経塚下平良大名原
経塚子の方原 経塚南小島原
前田真知堂
前田真和志堂
前田東前田原 前田前原
前田西上原 前田前田原 前田西前田原
経塚西小島原
比嘉門中の墓(3号墓) N
0 500m
前田黒島原
玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)
県道241号線
県道153号線 グリーンハイツ
沖縄国際センター
前田小学校
区 画 整 理 事 業 範 囲
小字境界 報告箇所
遺 構 確 認 範 囲
比嘉門中の墓(2号墓)
第3図 前田・経塚近世墓群調査地区の位置
0 100m
調査範囲
117 113 95 1 18 11 7 1 1 6 11 5 114 11 3 1 1 9 118 116 115 114 1 1 2 1 1 1 1 1 0 1 0 9 1 0 8 1 0 7 108 107 106 1 1 1 1 1 0 1 1 2 1 0 9 1 0 8 1 0 7 1 0 6 105 104 103 10 2 1 0 1 1 0 0 9 9 9 8 9 9 1 0 1 1 0 0 9 9 9 8 9 7 1 0 1 1 0 0 9 9 9 8 97 96 9 5 9 4 102 1 0 1 1 00 9 9 9 8 9 7 9 6 9 5 9 4 9 7 9 6 9 5 9 4 9 3 9 2 9 1 1 01 100 99 98 97 9 5 9 6 9 5 9 4 9 3 92 1 03 104 105 106 1 0 7 108 109 Y = 2 3 1 6 0 . 0 0 0 Y = 2 3 2 4 0 . 0 0 0 Y = 2 3 2 4 0 . 0 0 0 Y = 2 3 1 6 0 . 0 0 0 X=26620.000
X=26740.000 X=26740.000
X=26620.000 20m 0 S=1/500 1 0 0 1 0 0 1 0 1 1 0 1 102 102 1 0 5 1 0 5 1 0 4 1 0 3 1 0 2 1 0 1 1 0 0 1 0 1 1 0 2 1 0 3 1 0 4 9 9
詳細は上部
N 拡大図 42 39 38 32 31 37 43 36 34 35 47 30 14 24 12 23 11 10 9 7 5 26 8 4 3 6 2 25 18 17 76 63 62 9 7 54 56 55 5 8 (68) (77) (78) 41 50 40 33 45 44 46 49 15 61 60 48 51 52 53 13 54 56 57 58 19 16 59 1 64 65 66 67 69 70 71 73 74 75 21 22 72 (79) 27 20 28 29
※枠囲み数字は墓、
それ以外は壕。
※丘陵北側(平成25年度調査区)
は天井が残っている遺構も透過
して図化している。
丘陵南側(平成26年度調査区)
は天井が残っている部分は網掛
けをしている。
第1表 墓室平面形の類型(浦添市教育委員会2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』を一部改変、加筆修正)
墓室及び棚の特徴や構築方法
a 楕円またはいびつな形状。
b 直線的な規格性をもって造る。
c
蔵骨器が数点置けるくらいの広さで、墓口から奥壁まで直線的に造る。平面形は縦長の方形となる。 1人(一次葬人骨)を安置する墓として造られる。棺箱は遺構形状と同様に縦置きとなる。
※ 奥壁の片側または両側を拡張して蔵骨器を安置する場合もある。
d 蔵骨器が数点置ける広さで平面形は楕円に近い。1c同様一次葬人骨を安置する墓として造られる。 1cでは棺箱を縦置きするが、1dは横置きになる。
a 正面の奥壁を凸状(=出窓状)に成形。棚幅がシルヒラシ幅より短くなる。
b 正面奥壁と左右側壁を凸状に成形。
c 正面奥壁と、左右側壁のいずれか片側を凸状に成形。
a
平面形が「コ」字を90度左に回転した形状。棚は平坦になる。
※ 左右棚の片側いずれかと正面棚の接地部に段差ができることもある。 ※ 棚の高さで分類できる可能性あり。
b
平面形は3類aと同じだが、正面棚と左右棚の接地部に段差ができる。 正面に比べて左右の棚が低くなる。
c 「L」字状
奥壁(正面)と側壁のいずれか片側のみ棚を造る。 平面形は「L」字を90度または180度、右に回転した形状。
a 墓室内が楕円またはいびつな形状で、ほぼ平行するように正面1段の棚を造る。
b
墓室内が直線的な規格で造られ、正面に1段の棚を造る。 ※ 棚の高さで細分類できる可能性あり。
c 墓室内が直線的な規格で造られ、正面に2段の棚を造る。
a 3類a+4類c
b 3類b+4類c
c
「L」字状 + 階 段 状
3類c+4類c
a 3類a+4類b
b 3類b+4類b
「L」字状 類型
3類
「コ」字状 1類
2類
棚無し
出窓状
墓室平面形と棚の形状
6類
「コ」字状 + 段 状 4類
段状 (階段状)
5類
高さ 幅 奥行
1 掘込墓 5b 6.31
北東
N42°E 2.08 2.59 2.79 × ×
天井が残存する遺構。羨道の中央を通り墓口の外ま で延びる暗渠あり。
2 壕 ― (10.38) 北東
N41°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。6・3・4号遺構と内部でつなが る。天井には掘削痕多数あり。戦争遺物が出土。
3 壕 ― (9.8) 北北東
N30°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。2・6・4号遺構と内部でつなが る。
4 壕 ― (6.69) 東北東
N62°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。2・6・3号遺構と内部でつなが る。1.5×2mほどの部屋があり、その奥の通路は縦横 50㎝と狭い。戦争遺物が散乱。
5 壕 ― (15.03) 東北東
N75°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。7・9号遺構につながる。最奥 の天井には上部の55号遺構とつなぐ穴がある。戦争
遺物が多数残存。
6 壕 ― (10.38) 北東
N40°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。2・3・4号遺構と内部でつなが る。天井に掘削痕が多数残る。戦争遺物が出土。
7 壕 ― (21.34) 東北東
N76°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。5・9号遺構につながる。戦争 遺物多数残存。
8 壕 ― 1.08
東北東
N61°E 0.70 0.65 1.28 × ×
壕と思われるが奥行がない。クチャ層に突き当たっ たため掘削をあきらめた可能性がある。
9 壕 ― (2.61)
東北東
N77°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。5・7号遺構につながる。戦争 遺物多数残存。
10 壕 ― 1.56
東北東
N69°E 1.01 0.71 2.21 × ×
奥行がなく、クチャ層に突き当たったため掘削をあ
きらめた可能性がある。
11 壕 ― (8.38) 東北東
N65°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。12号遺構とつながる。戦争遺 物が散乱する。
12 壕 ― (3.5) 東北東
N64°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。11号遺構とつながる。戦争遺 物が散乱する。
13 掘込墓 1d 0.39
東
N89°E 0.56 0.75 0.40 × ×
奥行がなくその形状から壕としての機能が果たせな いため、墓の可能性が高い。類型は1dであるが、成 人の一次葬用としては小さい。
14 壕 ― 3.30
東北東
N66°E 1.45 (0.98)(3.75) × × 壁面に20㎝程の灯火用の小窟が掘りこまれている。
15 掘込墓 1c 1.04
東
N82°E 0.85 0.20 0.66 × × 内部は出入り口より低くなる。
16 掘込墓 5b 2.25
西
N82°W 1.99 2.56 2.77 × ×
天井が残存する遺構。墓室に厨子甕片や陶磁器が散
乱する。
17 壕 ― 1.97 不明 ― 1.54 (1.78) × ×
天井が崩落し、出入り口も不明。遺物はない。塹壕
(タコ壺)か。
18 壕 ― 1.63 不明 ― 1.36 (1.62) × ×
天井が崩落し、出入り口も不明。遺物はない。塹壕 (タコ壺)か。
19 掘込墓 ? 2.88
北北東
N34°E 0.99 1.62 2.69 × × 天井は崩落しているが奥に一部残る。
20 掘込墓 ? 0.84
北北東
N32°E (0.51) 0.63 (1.62) × × 天井は崩落しているが奥に一部残る。
21 掘込墓 1c 0.64
東北東
N62°E (0.79) 0.55 1.61 × × 天井は崩落しているが奥に一部残る。
22 掘込墓 ? 3.46
北東
N35°E ― 2.02 (2.11) × ×
墓室奥に小規模の横穴が2ヶ所あり、壕に改造の可能
性あり。
第2表 遺構観察一覧(1)
蔵骨器 の出土
状況 一次葬 の出土
状況
備考 番号
外観
形式 墓室
類型 墓室
(㎡)
墓口方位
(入口方位)
墓室サイズ(m)
高さ 幅 奥行
23 壕 ― 2.05
東北東
N57°E ― 1.45 1.76 × ×
丘陵頂部にある方形のくぼみ。塹壕(タコ壺)とみ られる。
24 壕 ― 2.16 ― ― 1.92 1.38 × ×
丘陵頂部にある方形のくぼみ。塹壕(タコ壺)とみ られる。
25 壕 ― 1.33
東
N85°E ― 1.45 1.76 × × 横穴だが壕とみられる。
26 壕 ― 1.88
東北東
N70°E ― 1.34 ― × × 床は平坦。
27 掘込墓
(袖墓)
(1d) 0.5
南東
N125°W 0.46 0.85 0.55 × ○
79号墓の袖墓。一次葬の人骨(幼児骨)が出土、周 囲から鉄釘が出土しており棺箱に納められていた可 能性あり。副葬品としてガラス瓶など出土。
28 掘込墓 1c 0.44
北北東
N18°E ― 0.47 (1.01) × ×
天井と出入り口が崩壊した遺構。平面形からは墓と 思われるが、床が出入り口側に向かって下り傾斜と なっている。遺物は出土していない。
29 壕 ― 1.25 ― (0.34) 2.17 (1.50) × × 天井から出入り口部分は崩落。床は平坦。
30 壕 ― 4.24 ― ― 1.88 (2.72) × × 天井から出入り口部分は崩落。
31 壕 ― 10.4 ― (1.44)(2.38) ― × ×
出入り口付近は崩落し、天井は奥部分が残る。床か
ら壁まで赤く変色し、被熱によるものと思われる。 陶磁器片が大量に散乱した状態で出土。
32 壕 ― 7.0 ― (2.15) ― ― × ×
天井から出入り口部分は崩落。31号遺構と隣接し内
部でつながっていたようである。
33 掘込墓 5a 6.24
北東
N40°E 2.26 2.49 3.14 × ×
天井が残存する遺構。ただし奥側は上へと掘削(拡 張)された形跡がある。厨子甕片等の遺物が出土。
34 壕 ― (1.0)
東北東
N71°E ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。35号遺構とつながる。入って 左手奥に灯火用の小窟が掘りこまれる。
35 壕 ― (5.6) 東北東
N66°E ― ― ― × ×
天井が残存するが出入り口部分は崩落している。34 号遺構とつながっている。中央に天井を支えるため 削り残して柱としている。
36 壕 ― 2.55 ― ― 2.23 1.46 × ×
丘陵頂部にある平面楕円形の堅穴で、最大の深さは 約1m。床は平坦。
37 壕 ― 2.61 ― ― 1.93 1.66 × ×
方形の堅穴で最大の深さは約1m。床は平坦。長軸の
東側側面に小さな横穴(一辺約20㎝の方形)が2個あ る。
38 壕 ― 6.56
北
N0°E (1.81) 2.44 (2.96) × ×
奥部分を残して天井が崩落した遺構。奥は一段(約 30㎝)高くなった奥行約1mの平場があり、39号遺構 とつながる。陶磁器やガラス瓶等が出土。
39 壕 ― 1.0
北東
N45°E (1.95) 1.02 (1.49) × ×
奥部分を残して天井が崩落した遺構。奥で38号遺構 とつながる。
40 掘込墓 1c 1.6
東北東
N60°E (1.35) 1.03 3.17 × ×
天井が崩落した遺構。生活雑器を中心とした陶磁器 片が大量に出土。
41 掘込墓 ― 0.9
北
N0°E 1.76 1.10 (1.64) × ×
一部クチャ層を削っており、掘削途中で廃棄された 可能性あり。
42 掘込墓 1c? 0.9
西
N94°W 0.92 1.03 0.7 × ×
墓室の天井は残存するが、墓口部分は崩落してい る。
43 壕 ― 0.34 ― ― (0.55) (0.7) × ×
丘陵頂部に位置する平面楕円形の堅穴で、最大の深 さは約80㎝。
44 掘込墓 6a 1.27
西南西
N115°E (1.90) 2.38 2.65 × × 天井と墓口が崩壊した遺構。
第3表 遺構観察一覧(2)
番号 外観 形式
墓室 類型
墓室 (㎡)
墓口方位 (入口方位)
墓室サイズ(m) 蔵骨器 の出土
状況 一次葬 の出土
状況
高さ 幅 奥行
45 掘込墓 1c 0.6
西南西
N104°E 0.90 0.85 1.55 ○ ×
天井が残存する遺構。墓口が石灰岩の蓋で塞がれて いた。厨子甕は1基で、墓口側に傾いていた。墓口付 近で20㎝大のニービヌフニが出土。
46 掘込墓 ? (10.8) 西南西 ― 3.65 (2.66) × ×
天井が崩落し、出入り口も不明。奥壁に出窓状のく ぼみあり。戦争遺骨、爆弾の破片とみられる鉄塊等 出土。
47 掘込墓 ? 6.5 南西及び西(1.28)(3.50)(1.66) × ×
天井が崩落した遺構。出入り口は2ヶ所ある。戦争遺 骨、重ねて置かれた陶磁器等が出土。
48 掘込墓 5b 1.9
西南西
N119°W 1.89 2.59 2.99 × ×
天井が残存する遺構。簪や陶磁器片が出土。左棚側 の壁に隣の51号墓につながる通路を掘削している。
49 掘込墓 1c 0.5
東
N90°E (0.63) 0.68 (0.77) ○ ×
天井は奥の一部を残し崩落。厨子甕は立った状態で 土を被っていたが、蓋は落ち手前に人骨片が散乱し ていたため、一度転倒したものを再び立て直したと みられる。
50 掘込墓 ? 0.6 北 ― 1.08 (0.87) × ×
天井が崩落した遺構。出入り口の位置は不明。ガラ ス瓶と小杯がセットで出土。右壁に灯火用小窟状の 15㎝大のくぼみがある。
51 掘込墓 ? (8.82) 南西
N140°W 1.63 (2.24)(7.49) × ×
形状から壕ではあるが、出入り口の形状や厨子甕片 の出土から、墓を壕に改造したとみられる。奥に掘 り込み隣の52号とつながる。壺や陶磁器片などが大 量に出土。
52 掘込墓 ? (1.3) 南西
N124°W 0.81 0.62 (1.82) × ×
天井が残存する遺構。奥に掘り込み隣の51号墓とつ
ながる。形状・規模から墓であった可能性あり。
53 掘込墓 1b 2.2
西
N99°W 1.01 1.72 1.11 × × 天井が残存する遺構。骨片が若干出土。
54 掘込墓 1c 0.63
西南西
N105°W 0.93 1.10 1.81 × ×
天井が残存する遺構。墓室右側に高さ5㎝ほどの低い 段がある。
55 壕 ― 3.6
西北西
N66°W ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。出入り口は溝状の通路で幅は 狭い。最奥には下へ続く堅穴があり、丘陵東側の5・
7・9号遺構とつながる。陶磁器類や鉄製品などが多 く出土。
56 掘込墓 1c 0.7
西
N85°W ― 0.67 (1.20) ○ ×
奥の一部を残し天井は崩落している。小型の厨子甕1 基出土。
57 掘込墓 5b 1.2
西北西
N74°W 1.86 2.25 2.44 ○ ×
天井が残っている遺構。墓口は閉じていた。厨子甕5 基を安置。
58 掘込墓 5b 5.7
西
N83°W 2.09 2.54 2.44 × ×
墓口部分の天井は崩落している。墓室から遺物が数 点出土しているが厨子甕はない。
59 掘込墓 1c 2.1
西北西
N60°W 0.95 0.67 1.99 ○ ×
天井が残存する遺構。崩落した形跡はないが内部は 土が充満していたlことから、意図的に埋めた可能性 がある。厨子甕1基出土。
60 掘込墓 ? 4.5 東 1.74 1.43 2.76 × ×
天井が残存するが、墓口付近は崩落している。内部 は一段高くなっている。形状から壕として拡張され
ている可能性あり。
61 掘込墓 ? 3.2
東
N88°E 1.10 1.57 (1.56) × × 奥の一部を残し天井は崩落している。
62 壕 ― 1.4
北西
N36°W 1.28 (60)(4.10) × ×
出入り口付近は崩落し、天井は奥部分が残る。地山 削り出しのかまどを造る。
63 壕 ― ― 西南西 ― ― ― × × 大規模な壕で丘陵反対側へつながる。
64 掘込墓 ? (0.23) 不明 (0.33)(0.49)(0.48) ○ ×
墓室のごく一部が残る埋没墓で、全体の様子は不 明。
65 掘込墓 4b 3.05
南南西
N147°W (1.93) 1.46 3.36 ○ ×
天井が崩落した遺構。墓口に蓋石が残る。厨子甕が4 基出土。
第4表 遺構観察一覧(3)
番号 外観
形式 墓室
類型 墓室
(㎡)
墓口方位
(入口方位)
墓室サイズ(m) 蔵骨器
の出土 状況
一次葬
の出土 状況
高さ 幅 奥行
66 掘込墓 1b 2.79
南南西
N147°W (1.28) 1.86 2.45 ○ ×
天井が崩落した遺構。墓口に蓋石が残る。蔵骨器が8 基出土。
67 掘込墓 4b 2.78
南南西
N158°W (2.03) 1.85 2.56 ○ ×
天井が崩落した遺構。墓口はニービヌフニ、墓室前 壁には石灰岩を積んでいる。庭に塹壕が掘られてい る。墓室から厨子甕4基出土。
(68) 掘込墓
?
3a? (1.20) ? (0.48)(0.81)(1.49) × ×
67号墓の墓庭にわずかに痕跡が残る。墓の可能性が あるが不確定(墓であれば崩壊後、67号墓が造られ
た)。
69 掘込墓 2a ―
南南西
N172°W ― 2.8 2.7 × ×
墓庭に獣骨埋設遺構。壕に改造され70号墓とつなが る。
70 掘込墓 ? ―
南南西
N168°W ― 1.1 ― × × 壕に改造され69号墓とつながる。
71 掘込墓 2a ?
南南西
N147°W ― 2.3 2.8 × ×
墓口前に獣骨埋設遺構。ニービヌフニと石灰岩を 使ってサンミデーが作られている。壕に改造され70
号墓とつながる。
72 掘込墓 1b? (5.75) 不明 (1.33)(2.31)(2.49) ○ ×
天井、墓口、側壁が崩落した遺構。墓庭は71号墓と 共有していたか、もしくは丘陵斜面崩壊により消失 している。厨子甕、転用蔵骨器が出土している
73 平葺墓 5a 7.50
南南西
N141°W 2.09 2.27 4.98 × ×
空き墓。墓室は掘り込みによって形成し、外部は琉 球石灰岩・マチナト石灰岩による平葺墓。一部セメ
ント使用。
74 掘込墓 1c? (3.60) 東
N89°E (1.45) 1.96 (1.84) × ×
天井が崩落した遺構。墓室を拡張し壕に改造、75号 墓とつながっている。墓庭はもともとないか、丘陵 斜面崩壊により消滅している。
75 掘込墓 1c? (2.84) 東
N82°E (1.05) 1.60 (1.78) × ×
天井が崩壊した遺構。墓室を拡張し壕に改造、74号 墓とつながっている。炭化物が集中した焼け跡あ り。墓庭はもともとないか、丘陵斜面崩壊により消 滅している。
76 壕 ― ― ― ― ― ― × ×
掘り込み(横穴)があり通路で63号遺構とつなが
る。墓を改造したものは不明。
(77) 壕 ― ― ― ― ― ― × × 63号遺構と同一の遺構。
(78) ― ― ― ― ― ― ― × × 77号遺構と79号墓をつないだ通路。
(79) 掘込墓 ― ― ― ― ― ― × ×
天井が残存する遺構。壕に改造されているが、崩落 の可能性があったため未調査。墓庭の一部に石灰岩 の石積みが残る。27号墓は袖墓(厳密には同一 墓)。
第5表 遺構観察一覧(4)
番号 外観
形式 墓室
類型 墓室
(㎡)
墓口方位
(入口方位)
墓室サイズ(m) 蔵骨器
の出土 状況
一次葬
の出土 状況